これだけは!歴史年号語呂合わせ 24選 第13回

こんにちは。

講師亀崎です。

今回は、コレです。

1840年 アヘン戦争

「市場(いちば)閉まるもイギリスが 清に逆ギレ アヘン戦争」

 

出ました!

実は当時の日本に大きな影響を与えておきながら、それがあまり知られていないで有名な戦争です。

そもそも「アヘン」てのがインパクト強いですよね。麻薬なので。

基本的な流れと日本への影響について押さえていきましょう。

 

」とは、1644年から1912年まで中国にあった王朝の名前です。

もともと満州地域でできた国だったのですが、漢民族を制圧。

現在の中国からモンゴルに至るまで支配していました。

 

そんな清と、イギリスは17世紀末ごろから貿易を始めました。

イギリスは清から多くのもの(茶や絹など)を買っていました。

しかし、イギリスが清に売るものは、そんなにありませんでした。

そこで、イギリスは植民地支配中のインドでアヘンを作り清に売るようにしました。

 

ここで、アヘンについて説明します。

アヘンはケシという植物からとれる麻薬です。

中毒性が強く、止めることが非常に困難と言われています。

特にアヘンから作られるヘロインは、有名な麻薬の中では最も危険といわれています。

 

そのアヘンを、イギリスは清に大量に売りさばきました。

当然、清国内では麻薬中毒者が激増します。

いたるところに社会生活をまともにおくれなくなった廃人が、見られるようになりました。

清政府は何度もアヘン使用禁止の法令を出しますが、効き目がありません。

イギリスに対しても、アヘンを無理やり没収したり焼却処分したりしました。

 

それに対してイギリスは「なんということをしてくれるんだ!」と逆ギレ。

こうして、清VSイギリスのアヘン戦争が勃発します。

 

当時のイギリスは世界最強の海軍を誇っていました。

清もそれなりの抵抗は示しましたが、1842年には降伏してしまいます。

イギリスの勝利でアヘン戦争は終結し、南京条約が結ばれました。

 

条約の主な内容は、以下の3つです。

・清はイギリスに多額の賠償金を払う

・清はイギリスに香港を譲渡する

・清はイギリスに対し5つの港を開け自由貿易をする

 

これに加え、清はイギリスに対する関税自主権がなくなり、また治外法権を認めました。

・・・おや?なんか聞いたことがありますね。

そうです。不平等条約です、

日本より先に、清はイギリスと不平等条約を結ばされたのです。

 

この後、清はアメリカやフランスとも不平等条約を結ばされます。

賠償金は払わないといけないし、外国の貿易で稼げなくなったしで、清は税金を重くします。

それに反発した国民は1851年に太平天国の乱を起こします。

この乱の規模はどんどん大きくなりました。

まだ乱が収まらないうちに、1856年に清はまたイギリスと戦争をします。

アロー戦争といいますが、また清はボロ負けします。

その後、欧米の力を借りながら清政府はなんとか太平天国の乱を鎮めました。

こうして、清王朝は衰退の一途をたどっていきます。

 

では、日本への影響はどうでしょうか。

アヘン戦争からさかのぼること15年前の1825年、日本(徳川幕府)は「異国船打払令」を発布。

貿易をしていない国の船を見かけたら、攻撃して追い返せ、ですね。

その理由は、イギリス人が鎖国中の日本の港や島に勝手に入って来て乱暴をしたことです。

しかし、アヘン戦争の情報を手に入れた幕府はイギリス(欧米列強)の強さにびっくり。

あの清が勝てないのに日本が勝てるわけがないと、手のひらを返します。

1842年の「薪水給与令」です。

貿易をしていない国の船を見かけたら、薪(まき・燃料)と水ぐらい分けてやれ、ですね。

なお、黒船がやってくるのが1853年ですので、このときの幕府の対応にも影響を与えていますね。

「どうやら、アメリカもイギリスぐらい強いらしい」と。

日米和親条約を結ばざるを得なかったのも納得です。

 

ということで、アヘン戦争で抑えるべきポイントは以下の通りです。

・清の国力が落ちた。

・欧米(とくにイギリス)が、日本にとって身近になった

・日本(幕府)の政策に影響を与えた

 

アヘン戦争は、大塩平八郎の乱(1837年)とならび幕府の終わりを予感させる出来事と言えます。

まさに内憂(大塩平八郎の乱)外患(アヘン戦争)の象徴ですね。

 

では、また。