これだけは!歴史年号語呂合わせ 24選 第11回
こんにちは。
講師亀崎です。
今回は、コレです。
1467年 応仁の乱
「人世(ひとよ)虚(むな)しく 応仁の乱」
出ました。
壬申・承久・応仁の「三大ゴッチャになりやすい乱」の最後の一角です。
とはいえ、重要度でいえば上記3つの中で最高との呼び声も高いですね。
内容だけでなく、なぜ重要かも含めて押さえていきましょう。
この乱の原因は「将軍の後継ぎ問題」です。
火種を作ったのは8代将軍・足利義政(よしまさ)。
慈照寺銀閣を作らせたことでも有名です。
義政は当時正室(複数いる奥さんの中でも一番偉い人)との間に息子がいませんでした。
しかし、芸術好きで政治嫌いの義政は「さっさと引退したーい。」と思ってました。
そこで「よし!弟の義視(よしみ)に将軍職をゆずって引退して芸術三昧じゃ!」と宣言しました。
そのタイミングで、なんと正室の日野富子が男子を出産します。足利義尚(よしひさ)です。
もちろん、富子は言い張ります。「この子(義尚)を将軍にするんだもん!」
こうして幕府内で義視派VS義尚派に分かれて、応仁の乱が勃発しました。
※後継者争いが現職の弟VS息子という点で、壬申の乱と構図は同じです。
戦乱の内容は割愛しますが、応仁の乱はドロンドロンに泥沼化します。
勝敗もあやふやなまま、1473年に沈静化。
なんやかんやで、義尚が次の将軍となりました。
で、この泥沼化した応仁の乱で最も問題になったのが、以下の2点です。
・足利家がナメられるようになる。
・戦乱で消耗した大名をたおすことが流行る(下剋上)。
ここに、応仁の乱が重要である理由があります。
もうお気づきですね。
応仁の乱は「戦国時代のはじまり」なのです。
このポイントをしっかり押さえておきましょう。
では、また。