これだけは!歴史年号語呂合わせ 24選 第5回
こんにちは。講師亀崎です。
今回はコレです。
701年 大宝律令
→ 名を広めたな!大宝律令
これで日本は律令国家になった、はいいけど律令ってナニ?でおなじみですね。
律令の意味からしっかり押さえていきましょう。
そもそも、この言葉は「大宝」「律」「令」に分かれます。
もっといえば「大宝」「律&令」ですね。
大宝とは、元号です。「令和」「平成」「昭和」とかといっしょですね。
ちなみに、最も古い元号は改新でおなじみの「大化」です。
しかし、考古学資料的に確認できる最古の元号は「大宝」だそうです。
話は戻りますが、701年というのは大宝元年にあたります。
ときの天皇は文武(もんむ)天皇です。壬申の乱で勝った天武天皇の孫です。
名前が似てますよね。
それはさておき、大宝律令は日本初の「律&令」として、かなり重要な法令です。
刑法である律が6巻、行政法・民法である令が11巻あります。
この法律(律令)で統治される国を「律令国家」といいます。
朝廷としては、天皇中心の律令国家を構築して、ガッツリと中央集権国家にしたかったのです。
これは、唐に倣ったのですね。
その内容で特に有名なのは、中央管制と地方管制です。
中央管制とは、朝廷の組織機構ですね。
今でも「財務省」「文部科学省」「国土交通省」のように~省といいますよね。
この原形が、大宝律令で制定されました。
いわゆる「二官八省」です。
二官とは政治のトップの「太政(だいじょう)官」祭祀のトップの「神祇(じんぎ)官」。
八省は太政官の下にあります。
中務(なかつかさ)省、式部(しきぶ)省、治部(じぶ)省、民部(みんぶ)省、
大蔵(おおくら)省、刑部(ぎょうぶ)省、宮内(くない)省、兵部(ひょうぶ)省
また、これに「弾正台(だんじょうだい)」と五つの「衛府(えふ)」を加えたものも合わせ
二官八省一台五衛府
とひっくるめて呼びます。
また、地方は「国・郡・里」に編成し、国司を中央(朝廷)から派遣します。
郡司はその地方の有力者が世襲しました。
それ以外にも、税や労役の管理も整備するなどして、日本は中央集権国家となっていきました。
同時に、律令国家になったことで周辺国からも一目置かれるようになったのです。
つまり、「名を広めた」わけですね。
大宝律令が重要なのは
・日本が律令国家なった
・中央集権国家が完成した
・それが平安時代までつづく国家体制の基礎となった
この3点ですね。
大宝律令を制定した文武天皇。彼は、遷都の計画も立てていました。
いかし、新しい都を見ることなく25歳の若さで崩御します。
その新しい都については、次のお話。
では、また。