これだけは!歴史年号語呂合わせ 24選 第3回
こんにちは。講師亀崎です、
今回は、コレです!
645年 大化の改新
→ 無事故で済まず、大化の改新
こまかくいうと、645年に蘇我氏を滅ぼした事件は「乙巳の変」といいます。
翌年からいろいろ新しい法令を出していったのが「改新の詔」といいます。
これらをまとめて「大化の改新」といいます。
よく「ホントは無かったんじゃないの?」という疑惑が付いて回りますよね。
これは、奈良時代に成立した日本書紀の中でした大化の改新の内容が分からないからです。
しかし、一応「大化の改新はあった」ということで話を続けています。
大化の改新の内容としては、ざっくりと以下のようなものです。
聖徳太子の死後、蘇我氏は聖徳太子の子とその一族を滅ぼしたり、勝手に天皇を変えたりした。→
要するに、蘇我氏が天皇よりイバっていた。→
当時の天皇の子の中大兄皇子(のちの天智天皇)はムカついてた。→
同じように、中臣鎌足(藤原氏の祖)もムカついてた。→
中大兄皇子と中臣鎌足を中心に、蘇我入鹿を暗殺し、蘇我一族を滅ぼした。→
翌年から次々と法令を出し、天皇中心の中央集権体制を構築していった。
こんな感じです。
大化の改新が重要なのは
・天皇中心の国家体制にし、唐にならって律令国家をめざしていった。
・貴族の中では、藤原氏が特別な存在になった。
・日本で元号を使うようになった(ちなみに、今の元号は「令和」)
つまり、大化の改新とは続く奈良時代・平安時代の基礎づくりのきっかけだったのです。
では、また。