これだけは!歴史年号語呂合わせ 24選 第1回
こんにちは。
講師亀崎です。
いきなりですけど、歴史の年号覚えるのって、大変ですよね。
しかも「年号知らなくても大丈夫だって!」っていう人もいるし
「知ってた方がいいに決まってるよ!」っていう人もいます。
ということで、これから何回かに分けて
「最低限この年号は知っといた方がいいのでは?」
と思うものを厳選して24個、なぜ大事かの理由も合わせて紹介していきます。
初回は、大サービスで2個出します。
57年 奴国が後漢から金印をもらう。
→「Go!奴国へ 金印Go!」
239年 邪馬台国の使いが魏の皇帝に拝謁する。
→「文(ふみ)くださいね♡ 卑弥呼より」
この2つを同時に紹介したのには、理由があります。
ゴッチャになっている中学生が多くいるからです。
奴国は、弥生時代に現在の福岡市付近にあった国です。
後漢の光武帝から「漢委奴国王」の金印をもらいました。
このことは『後漢書東夷伝』に記述があります。
あの、教科書にも必ず載っている金印は、奴国がもらったものです。
邪馬台国より、だいぶ古いのですね。
一方、邪馬台国は弥生時代の終わりごろ(ひょっとしたら古墳時代のはじめ?)の国です。
場所はまだ特定されていません。
そんな邪馬台国は、魏の皇帝(曹操の孫の曹叡?)に使者と貢物を送ったそうです。
『魏志倭人伝』に記載されています。
代わりに、銅鏡や金印をもらっています。
そうです。
邪馬台国も金印をもらっているのです。
『親魏倭王』と刻まれているはずです。
「はずです」というのは、これが見つかっておらず現物が無いからです。
だから、いまだに「邪馬台国ドコやねん」論争があるのですね。
57年と239年は年号を覚えるのも大事ですが、
・奴国と邪馬台国は別物
・奴国はどこにあったか判っているいるが、邪馬台国はわからない。
・奴国の方が古い。
・「漢委奴国王」の金印と関係あるのは奴国
ここをしっかり押さえてほしいですね。
では、また。