偉人の妄想インタビュー⑥ ~菅原道真~ その2
こんにちは。
全て、講師亀崎の妄想です。ちょっとした読みもの的な感じで作ってみました。
広い心で、暇つぶし的に読んでいただければ幸いです。
今回も、菅原道真です。
学問の神様として有名ですね。
今回のメインは「阿衡の紛議」です。
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インタビュアーを「I」、
菅原道真を「菅」とする。
I:「阿衡(あこう)の紛議」じゃないですか。
菅:よう知っちょんやん。まさにソレよ。
宇多天皇の指示で橘広相(ひろみ)さんがな、オイサンを「阿衡」ちゅう役職にさせるんよな。
「阿衡」は、そもそも中国の殷王朝(商王朝とも)が出来たときの王の補佐の役職なんや。
「伊尹(いいん)」ちゅう大臣や。
それを、オイサンは「名誉職なんやろ?オレに仕事すんな、っちゅうこと?」っち怒ってなあ。
I:ヘソまげたんですか。
菅:・・・いや。そういうフリっちゅうか、なんちゅうか。
表向きは、な。
とにかく橘広相さんに難癖つけて、中央から退けさせたかったんやろうなあ。
『広相を地方に飛ばす!』っち、息巻いちょったらしい。
こら大事や、っち思って。オイサンに手紙を出したんや。
「もうその辺で広相さんを許しちゃりよえ。
オイサンのありがたみはみんな分かっちょんけん。」
ちゅうてな。
とりあえず騒ぎが収まったんやけど、オイサンの力の強さは改めて知り渡ったなあ。
だって、阿衡の役職をオイサンに任じたのは天皇やろ?
そこに文句言うんやけん、なあ。
『勅でも、気に入らんのは受けん!』ちゅうて、天皇にマウントとったわけや。
I:それを諫めた道真さんは、スゴイです!
菅:いやいやいや、タイミングが良かったんや。多分。
オイサンも、ゴタゴタを収めるきっかけを探しちょったと思うで。
I:ところで、宇多天皇の即位はすんなりいかなかったんですか?
菅:サプライズやった~。
宇多帝は、一回臣籍降下して「源定省(さだみ)」っち名乗っちょったんで。
そっからの大逆転やけんな。
I:そんなことあるんですね。
菅:宇多天皇の御父君で先代の光孝天皇が急に病にかかっちなあ。
その時点で、光孝帝は皇太子を決めちょらんかったんやな。
ほんで「帝にもしものことがあったら、次の天皇どうする~」っちなって。
で、そん時の藤原氏のトップが基経のオイサンや。
でも、オイサンにとって「コイツや!」っちゅう都合のいい皇族がおらんでな。
消去法で宇多天皇になったっちゅう、いきさつがあるんや。
ただ、な。宇多天皇が源定省のときにもらった奥さんが、広相さんの娘でな。
I:ということは、橘広相は藤原基経にとって邪魔な存在だった、と。
菅:そうなんや。
広相さん、大学寮で紀伝道の教官やったんで。
中国史にそうとう詳しいんやけん、「阿衡」のことで文句つけられんハズやん。
ちゅうても、オイサンも、北家一族の全てを背負いこんじょんけんな。
I:朝廷内で藤原氏の権勢はかなりのものだったんですね。
菅:まあ、都が平安京に移ってからは、藤原北家がイケイケやったけんな。
なぜ、北家がイケイケになったのか。
藤原北家の仁義なき排斥運動とは?