偉人の妄想インタビュー⑥ ~菅原道真~ その1
こんにちは。お久しぶりです。
全て、講師亀崎の妄想です。ちょっとした読みもの的な感じで作ってみました。
広い心で、暇つぶし的に読んでいただければ幸いです。
今回から、菅原道真です。
学問の神様として有名ですね。
でも、先祖は意外と体育会系のようです。
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インタビュアーを「I」、
菅原道真を「菅」とする。
I:今日はインタビューをうけていただいて、ありがとうございます。
早速ですが、御家柄について教えていただいてよろしいですか。
菅:あー、はいはい。
うちゃあ、たいした家柄やねぇけんなあ。
もともとは土師氏なんよな。知っちょんかな。
野見宿禰(のみのすくね)っちゅう人からはじまったんや。
I:相撲の神様の、ですか。
菅:そうそう、それ。
それが、ひい爺さんの代から「菅原」に氏を変えたんや。
なかなかの学者やったっち。
実力はすごかったけど、金はなかったみたいやな~。
オヤジも、朝廷で役職があったりしたけど、基本は学者やな。
私塾もやりよったし。
I:塾生は多かったんですか。
菅:けっこう流行ったんで。
「山陰亭(さんいんてい)」ちゅう名前でな。
人気が出てから廊下でも授業を聞くやつがでてきたけんな。
「菅家廊下(かんけろうか)」っち呼ばれよったわ。
I:すごい人気ですね。
家業の塾に専念してもよさそうですが、なぜ官職につかれるようになったのですか。
菅:きっかけは、藤原基経のオイサンやなあ。
なんかのはずみで、あのオイサンがオレが書いたモン見たんよな。
『お?おまえ、文章の才能あるやねえか。
ちょう、オレん代わりに文章書いてくりい。』っちゅうて。
そっからやな。
I:最初はそっちからですか。
菅:それもあるし、文章得業生(もんじょうとくごうしょう)やったのもあるし。自慢やけど。
I:すいません、どういうものですか?そのもんじょう・・・ナントカは。
菅:大学寮っち、わかるかな。官僚育成機関な。
その中でも、中国史と漢文を専攻する紀伝道っちゅう学科のトップ2が文章得業生やな。
それになった時点で、官職にはつくし、一目置かれるんで。
I:キッチリ実力があった、と。
菅:照れるやん。
まあ、そんなこんなで、基経のオイサンとはまあまあ仲良うさせてもらいよったんや。
で、あるとき讃岐守(現在の香川県の国司)になったけん、赴任したんよな。
そしたらな、朝廷がモメたんやな。
基経のオイサンがなあ・・・。
I:それって、「阿衡(あこう)の紛議」のことですか?
平安時代初期名物、藤原氏の他氏排斥運動を菅原道真がざっくり解説してくれます。