偉人の妄想インタビュー④~聖武天皇~ その3
こんにちは。
全て、講師亀崎の妄想です。ちょっとした読みもの的な感じで作ってみました。
広い心で、暇つぶし的に読んでいただければ幸いです。
今回は聖武天皇の最終回です。
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インタビュアーを「I」、聖武天皇を「聖」とする。
I:藤原広嗣(ひろつぐ)は、大宰府に飛ばされたから謀反を起こした、ということですか。
聖:広嗣は、大宰府にいる間にね、あたしあてに上奏文を送ってきたんですよ。
それで、吉備真備(きびのまきび)や玄昉(げんぼう)あたりですね。
そこらへんの、自分以外の者を重用するから国が乱れる、みたいなことを書いて。
それであたしもカチンを来ましてね。完全に逆恨みじゃないですか。
「この上奏文そのものが謀反だ」ってことで、あたしは討伐の勅を出しました。
I:それに反応して、広嗣が兵を挙げたんですね。
聖:そうです。
まあ、割と早く鎮圧できたみたいですけどねえ。真備の作戦がズバズバ当たったみたいですよ。
おかげで何とかなったんですが。あたしもほとほと疲れましてね。
運気を変えようと都を遷したり※仏教を信じたりしました。
※遷都:平城京(奈良)→恭仁京(京都)→難波宮(大阪)→紫香楽宮(滋賀)→平城京
全国に国分寺を作らせたり、東大寺の大仏を作らせたりしましたねえ。
I:そういえば、墾田永年私財法も同時期に制定ですね。
聖:荒れ地が多かったんですよ。
本当は公地公民を崩したくなかったんですが、国力を上げる方を優先しよう、と。
長屋王ももういないから、反対する人もいませんでしたよ。
でもね、その後また悪いことが起きたんです。
息子の安積(あさか)親王が死んじゃったんですよ。
I:それもよくないうわさが・・・
聖:藤原仲麻呂が毒殺したっていうのでしょう?
確かに、このままいけば藤原氏と関係の薄い安積親王が次の天皇になるところでしたから。
安積親王が死んだことで、光明子の子である阿倍内親王が皇太子になれましたねえ。
とはいえ、毒殺の証拠もないし。
あたしも、ほとほと嫌気がさしたんですよ。
「あたしが天皇だからよくないのかしら」なんて考えてしまって。
結局、50になる前に娘(阿倍内親王→孝謙天皇)に譲位しました。
I:男性では初めての太上天皇ですね。
聖:正確にいうと、仏教に帰依するから天皇をやめる、という感じですねえ。
それに太上天皇っていっても、あまり目立ったことをしていませんよ。
東大寺の大仏の開眼法要したぐらいですかねえ。
I:仏教といえば、光明皇后も信心深かったんですよね。
聖:光明子は国分尼寺を建てさせましたねえ。
他にも、貧民や孤児の救済のための施設である悲田院(ひでんいん)も。
あと、病人の治療などを行った施薬院(やくいん)もね。
それに、あたしの遺品を正倉院に納めてくれて。
今では貴重な文化財なんでしょう?
I:はい。天平文化の象徴ですね。
聖:そうですか。
後世の役に立っているのは嬉しいですねえ。
I:今では、多くの学生や外国人が訪れている超有名な観光スポットですね。
インタビューは以上です。
今日は本当にありがとうございました。
次回からは、桓武天皇です。
貴族の権力争いって、本当にドロドロしてエグイですよね。
乞うご期待!