偉人の妄想インタビュー④~聖武天皇~ その2
こんにちは。
全て、講師亀崎の妄想です。ちょっとした読みもの的な感じで作ってみました。
広い心で、暇つぶし的に読んでいただければ幸いです。
今回は聖武天皇の2回目です。
長屋王の変が中心です。
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インタビュアーを「I」、聖武天皇を「聖」とする。
I:自分の子に後追いで皇位継承権をつけるなんて、長屋王もイケイケですね。
聖:もっと悪いこともあったんですよ。
あたしの息子、基王(もといのみこ)をね、生まれてすぐ皇太子にしたんですよ。
でも、満1歳になる前に死んじゃって。
そしたら、あたしの息子は安積親王(あさかしんのう)一人になりまして。
藤原四兄弟からすると、長屋王の息子が天皇になる可能性が高まったわけですから。
I:それが「長屋王の変(729年)」につながるんですか。
聖:そうなんですよ。
もうちょっと細かい話をするとね、基王の母親が光明子なんですよ。
光明子は不比等の娘なんですね。要は、藤原四兄弟の妹なんですよ。
彼らは、光明子を皇后にしたかったんですね。
そうすれば、藤原氏の朝廷における地位も上がるじゃないですか。
でも、その当時は皇族でもない女性が皇后になれなかったんですよ。
だから、例えばあたしが「光明子を皇后とする」なんて勅を出したら・・・
I:長屋王からまた「律令にありません」と横やりが入る、と。
聖:そうなったでしょうねえ。
あたしとしては、その時は基王が死んでかなり精神的にやられてましたから。
そんなときに、密告があったんですよ。
「基王は、長屋王に呪い殺された」っていう。
びっくりしましたよ。
でも、あたしも冷静な判断ができなかったというか。
舎人(とねり)親王と藤原四兄弟に押されて、長屋王逮捕の勅を出しちゃったんですね。
I:日本書紀の編纂で有名な、あの舎人親王も関わってたんですね。
聖:邪推ですが、舎人親王としては甥で同い年の長屋王が目障りだったんじゃないでしょうか。
I:ってことは、藤原四兄弟と舎人親王が結託して長屋王を陥れた、ってことですか。
聖:どうでしょうねえ。
あたしも、そこにあまり興味が持てなかったというか。
さっきも言ったように、基王のことで頭がいっぱいだったんですよ。
まあ、ともかく長屋王は舎人親王からの追及もあって自殺しました。
奥さんの吉備内親王や子どもたちもみんな自殺しましたねえ。
I:聖武天皇の次の孝謙天皇は光明子の娘、その次は舎人親王の子の淳仁天皇ですからね・・・。
聖:まあ、いいじゃありませんか。
でも、よくないことは続くんですよ。
天然痘が大流行したんですね。それで、舎人親王も四兄弟もみんな亡くなっちゃったんですよ。
I:長屋王の祟りといわれている、アレですね。
聖:そうみたいですね。
結局、藤原氏の力が弱まったことで、橘諸兄(たちばなのもろえ)が台頭したんですよ。
その諸兄が、吉備真備(きびのまきび)と玄昉(げんぼう)を重用するようになるんですよ。
I:藤原氏を締め出した、と。
聖:四兄弟の藤原宇合(うまかい)の息子、広嗣(ひろつぐ)を大宰府に飛ばしたりもしました。
I:なぜ広嗣を大宰府に行かせたのですか。
聖:天然痘の流行もあって国が大変な状態だったじゃないですか。
だから新羅と関係修復しようとしたんですね。
広嗣は新羅に対して強硬派だったんですよ。素行もよくありませんでしたし。
だから、ちょっと中央から遠ざけたんですね。
大宰府に飛ばされた藤原広嗣がまさかの・・・
次回は、聖武天皇の最終回です。