偉人の妄想インタビュー④~聖武天皇~ その1
こんにちは。
全て、講師亀崎の妄想です。ちょっとした読みもの的な感じで作ってみました。
広い心で、暇つぶし的に読んでいただければ幸いです。
今回から聖武天皇です。
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インタビュアーを「I」、聖武天皇を「聖」とする。
I:今日はお時間いただいて、ありがとうございました。
聖:いいんですよ。あたしもヒマですし。
もう1300年も前のことなんで、何だって聞いてくださいよ。
I:そう言っていただけるとありがたいです。
早速、天皇即位までのことお伺いしていいですか。
聖:はいはい。どこから話しましょうかねぇ。
あたしが七つのころ、父(文武天皇)が崩御したんです。まだ20代で。
でも、はっきりとは覚えていませんねぇ。
何でも大宝律令を作らせて、平城京遷都も計画していたとか。
持統上皇もいたとはいえ、父も若いうちから精力的に頑張ってらしたようで。
I:文武天皇が崩御されてからは、やはりゴタゴタしたのですか。
聖:なんせ、あたしがまだ子供でしたから。
とりあえず、祖母(文武天皇の母)が元明天皇になりましたね。
I:平城京遷都時の天皇ですね。
聖:そうでしたねえ。
あたしの母方の祖父の藤原不比等や、ご自身の娘婿で若手の長屋王を重宝されてました。
古事記を献上させたり風土記の編纂もさせてましたね。
I:元明天皇も意外と早くにお体を崩されたようですね。
聖:あたしがまだ15でしたから。とりあえず跡継ぎを叔母の元正天皇にしたんですよ。
元正天皇のころにね、日本書紀が編纂されましたねぇ。
I:当時、皇族以外で権力を持っていたのは誰だったんですか。
聖:あたしが物心ついてからずっと祖父の不比等でしたねぇ。
でも、元正天皇のころに薨去(こうきょ)しまして。
それからは、長屋王でしたねぇ。政治家として、かなり有力だったようですよ。
そうそう、三世一身法を出したのは長屋王でした。開田を盛んにさせていました。
一方で、状況に応じて税や賦役を軽減することもありました。
人事や反乱の鎮圧なんかも精力的に対応していました。
I:不比等の息子たち、藤原四兄弟はどうでしたか?
聖:不比等が薨去したとき、四兄弟はまだ若かったんですよ。
でも、元明天皇が崩御されたくらいから、だんだん長屋王との対立が深まったようでね。
長屋王自身、藤原氏が力を持つことをよく思っていなかったようですよ。
あたしが天皇になった直後にね、辛巳(しんし)事変ってのがあったんですよ。
あたしの母親である藤原宮子を「大夫人(だいぶにん)」って呼ぶって勅を出したんですよ。
そしたら長屋王が「大夫人なんて尊称は律令にありません」って言いだしまして。
結局、勅を撤回したんですよ。
これで、長屋王と藤原四兄弟の仲が悪くなったんですよ。
I:長屋王としては、皇族中心で政治をしたかったんですね。
聖:どうでしょう。皇族中心というか、自分中心、の方が正しいかもしれませんね。
長屋王は吉備内親王との子を皇孫にして、皇位継承権を持つようにしましたからねえ。
まあ、優れた政治家は野望家ですよねえ。
続く
次回は、長屋王の変!