偉人の妄想インタビュー③~天智天皇~ その5
こんにちは。
全て、講師亀崎の妄想です。ちょっとした読みもの的な感じで作ってみました。
広い心で、暇つぶし的に読んでいただければ幸いです。
中大兄皇子の最終回です。
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インタビュアーを「I」、天智天皇(中大兄皇子)を「智」とする。
I:「防人」(編集部注:唐・新羅からの侵攻にそなえる北部九州の警護)も、白村江の後ですね。
智:ほうよ。実はこれものう、裏の狙いがあったんじゃ。
オフクロが東国に兵を送ったって言うたじゃん。
勝つにゃあ勝ったが、エライ苦労したそうでのう。
「一人ひとりの兵士は、ブチ強かった!」って、みんな言うとったわ。
このままほっといたら、いつ東国の反乱がおきるとも限らん。
じゃから、防人にゃあ東国の若い男を行かせたんじゃ。
I:防人は劣悪な環境だったそうですが、それも東国の戦力を削ぐ目的があったと。
智:北部九州まで実費で往復してもろうて、その上給料ナシじゃからな。
勤務中は自給自足じゃ。いうなりゃ、強制ボランティアじゃ。
それに、東国から北部九州までブチ遠いじゃん。そこまで遠いと、逃げることもないじゃろう。
防人に東国の男を行かせたのも、いろいろ理由があるんで。
I:そういえば、斉明天皇が崩御された後に、天智天皇の即位、ということでよろしいですか。
智:5年ぐらいはジラしたけどのう。「制称」いうて、皇太子のまま天皇みたいなこともしとった。
一応、ほら、喪に服す、いうやつじゃ。
いきなり即位したら、「ありゃ、天皇になりとうてオノレの母親を殺した外道じゃ」いうて。
そういうことをいう輩はおるけえの。
I:その後も、いろいろお忙しかったようですね。
智:ほうよのう。国防では水城も造った。
国防がらみでいえば、遣唐使もけっこう早く復活させたんよ。
さっきも言うた通り、唐と新羅がちょっとモメたじゃん。ここじゃ~思うてのう。
唐としては、すぐに日本と仲良くなれば、新羅とはさみ打ちできるけえ。
けん制、ちゅうヤツじゃ。
内政じゃったら、庚午年籍(こうごねんじゃく)も作ったのう。
ありゃあ、大変じゃった。
I:かなり細かく作られた戸籍だったそうですね。
智:ほうよ。国をキッチリ支配するにゃあ、キッチリ税を取らんといけんのじゃ。
脱税は許さん。
I:いよいよ最後の話を聞きたいのですが・・・壬申の乱についてです。
実際は跡取りについてどう考えてらしたんですか?
智:やっぱり気になるんか。ありゃあ、ワシの一番の失敗じゃったのう。
最初弟のアマ(編集部注:大海人皇子、後の天武天皇)に跡目ぇ継がせるはずじゃったんじゃ。
I:それは、やっぱり血筋の問題ですか?
智:ほうよ。ワシとアマは、オヤジとオフクロが同じでのう。天皇同士の子よ。
息子のトモ(編集部注:大友皇子)は、側室の子じゃったんじゃ。
身分的には、アマの方が天皇になるべき、と周りの人間はそう思うとったんじゃ。
I:大友皇子の力量としては、どうでしたか?
智:それがのう、なかなかデキる奴やったんよのう。
これが大したことないやつじゃったらあきらめもつくんじゃが・・・。
とはいえ、かなり早い段階でアマを次の天皇にする、ちゅう話はしとったんじゃ。
I:うわ~。八方ふさがりですね。
智:一番ええのは、アマが自分から辞退することじゃったんじゃ。
ほしたらのう、あっさり辞退しよったんよ。アマが。
確かにワシも、天皇の優先順位についての法令をいじったりしてアピールしたんじゃ。
空気読んで、アマは仏門に入ったんよ。
ほいで、トモを正式に次の天皇に指名したんじゃ。
I:では、天智天皇自身が崩御されたときは、それなりに安心していた、と。
智:いや、ちょっと心にひっかかっとった。
ワシもイケイケでいろいろ制度を変えたけえ、反対派がおるんも知っとった。
その矛先がトモに向こうたようじゃのう。
トモには申し訳ないことしたわい。
とはいえ、ワシがずっと天皇の力を強うするゆうんが、アマである程度完成されたんじゃ。
武力で天皇に即位したけえ、力も集中してのう。皮肉なもんじゃ。
ワシの理想をアマが叶えよった。
アマはそれに輪ぁかけて、大臣の代わりに家族を置くっちゅうこともやったそうじゃのう。
I:皇親政治ですね。
智:それと・・・あれじゃ、「八色の姓(やくさのかばね)」じゃ。
皇族や豪族の身分や地位に、キッチリ序列をつけたヤツじゃ。
I:あの制度で、天皇中心の政治がもっと明確になりましたね。
智:まあ、その、アレじゃ。ワシも考えとったんじゃ。うっすらのう。
I:仁義ないですね~。
今日は本当に長い時間、ありがとうございました。
次回は聖武天皇編です。