偉人の妄想インタビュー③~天智天皇~ その3

こんにちは。

全て、講師亀崎の妄想です。ちょっとした読みもの的な感じで作ってみました。

広い心で、暇つぶし的に読んでいただければ幸いです。

 

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インタビュアーを「I」、天智天皇(中大兄皇子)を「智」とする。

 

智:大改革じゃ。天皇中心の政治をせにゃあならん。

  あと、理想があってのう。

  唐みとうに、律令でビシーっと筋のとおった国にしたかったんじゃ。

  とりあえず「改新の詔(みことのり)」いうのを出してのう。

I:公地公民のアレですね。

智:ほうよ。それだけじゃないんで。

  機内や国、郡(こおり)いうて、行政区分も決めとるんで。

  あと、戸籍と班田収授法、口分田じゃな。

  それに、新しい税制度もじゃ。聞いたことあるじゃろ。租・庸・調じゃ。

I:入鹿達がいなくなって、どんどん仕事が進んだんですね。

智:他にも細かいのも併せりゃあ、いろいろやったんで。

  薄葬令って、知っとる?

I:いや、存じ上げないです。

智:前方後円墳とか円墳とかは知っとるじゃろ。あれ、禁止したんよ。

  派手な墓作ってカバチたれる奴がまだおったけえのう。

I:なるほど。

  そういえば、いつ天皇になられたんですか?

智:ワシ?もっと後よ。

  乙巳の変の後に、「ウチ、もう天皇をお前に譲ろう思うとるんよ。」いうて。オフクロが。

I:断ったんですか?なんで?

智:それでワシが天皇になってみいや。

  「ありゃ、天皇になりとうて入鹿討った外道じゃ。」ってなるじゃん。

  あと、天皇になったらけっこう不自由なんよ。

  働きすぎたら、周りから止められるじゃろ。

  皇太子ぐらいがちょうどいいんで。

I:なるほど~。で、皇極天皇も納得された、と。

智:ほうよ。で、結局オフクロは弟の孝徳天皇に位を譲ったわい。

I:孝徳天皇としては、たよりになる甥っ子ですね。

智:どうじゃろうな~。

  乙巳の変も含め、いろいろなことが結局はオジキの思い通りになっとるような気がしてのう。

I:確か、最後は難波長柄豊碕宮(なにわながらとよさきのみや)で孤独に亡くなったのでは?

智:最後は、オジキ以外を引き連れて大和(編集部注:今の奈良県)に戻ったんじゃけど・・・

  それもこれもオジキの書いた絵のような気もするんじゃ。

  ホンマのところはよう分からんけど。

I:では、孝徳天皇が崩御されて後に天智天皇として・・・。

智:ところが、そうはならんのよ。

  孝徳のオジキは、豊碕宮でひっそり崩御したじゃろ?

  ここでワシが即位すると「ありゃ、天皇になりとうて孝徳帝を捨てていった外道じゃ」いうて。

  ワシの思い通りに政治はしたいが、それが「自分勝手」と取られると困るんよ。

  そこまで豪族たちがワシら皇族に忠誠を誓うとるわけじゃなし。

  簡単じゃないんで。

  ほいじゃけぇ、オフクロが重祚(ちょうそ)して、斉明天皇になったんよ。

 

 

 

「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかないぬ今は漕ぎ出でな」

熱田津(にきたつ)とは、現在の愛媛県松山市にあった船着き場です。

これは、額田王が西へと向かう船の中で詠んだ句と言われています。

なぜ、西へと向かっていたのでしょうか。

 

次回は、「ペッカンチョントゥ(白江戦闘)」でおなじみ、白村江の戦いです。