偉人の妄想インタビュー③~天智天皇~ その1
こんにちは。
全て、講師亀崎の妄想です。ちょっとした読みもの的な感じで作ってみました。
広い心で、暇つぶし的に読んでいただければ幸いです。
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インタビュアーを「I」、天智天皇(中大兄皇子)を「智」とする。
I:今日は時間をとっていただいてありがとうございます。
智:気にせんでええよ。もう昔と違うて、ヒマしよるんじゃ。
I:ご存命のときは、かなりご多忙だったのではありませんか。
智:ほうよのう。ブチ忙しかったのう。
いろいろ変えよう思うたら、そら骨が折れるけえのう。
I:その辺のところをいろいろお聞かせ下さい。
では、さっそく「大化の改新」のきっかけとなった「乙巳(いっし)の変」についてですが。
なぜ蘇我蝦夷(えみし)・入鹿(いるか)親子を討ったのでしょうか。
智:わしのオヤジとオフクロが両方天皇じゃったのは知っとるか。
オヤジは舒明(じょめい)天皇いうてのう。ワシにとったらフツウのええオヤジじゃった。
オヤジが死んだあと、オフクロは皇極(こうぎょく)天皇になった。
その両方共が、蝦夷のあやつり人形じゃったんじゃ。
I:なるほど。蘇我氏の力が強すぎた、と。
智:ホンマよ。聖徳太子のオオオジキが死んだあと、また馬子(蘇我馬子)がのさばってのう。
蝦夷いうんは、その息子よ。
あん外道、天皇の跡目争いも牛耳っとったんじゃ。
推古天皇の次はだれもが山背大兄王(やましろのおおえのおう)じゃと思うとった。
聖徳のオオオジキの息子さんで、父譲りの聡明な方じゃったそうじゃ。
ほいじゃが、蝦夷はオノレのオヤジをよう見とったんじゃろうのう。
自分の好き勝手できんじゃろういうて、言う事を聞く舒明天皇を即位させたんじゃ。
ワシのオヤジよ。複雑じゃあ。
ワシはまだ2歳じゃったし、オヤジとしてもワシら子供や家族を守ろうとしたんじゃろう。
I:舒明天皇は早くに崩御されてますね。
智:ほうよ。ワシが15歳ぐらいのときじゃ。継いだのがオフクロの皇極天皇よ。
オヤジも気苦労が絶えんかったんじゃ。
考えてもみいや。
家臣の豪族たちは、天皇のところに顔も出さんと蝦夷の家にばかり行っとるんで。
こがいな屈辱的なことがあるかい。
おまけに、蝦夷はオノレのためにデカい墓を作らせよるしのう。
I:馬子はどうでしたか?
智:オヤジに輪をかけて外道よ。
自分のやり方に文句言うと思ったんじゃろうのう。
山背大兄王にカチコミかけて追い込んだしたんよ。
多勢に無勢で、最期は自害なさったそうじゃ。
これで、聖徳太子のオオオジキの家は途絶えたんじゃ。
I:643年の出来事ですね。
智:そういえば、それぐらいのときじゃのう。鎌足と会うたんは。
あとから聞いたんじゃが、鎌足も「蘇我の好きにさせとったらいけん」と思うとったそうじゃ。
そっから、南淵請安(みなぶちのしょうあん)の塾で鎌足と計画を練ったんよ。
I:南淵・・・あ、遣隋使に行ったお坊さんの。
智:返ってくる頃には唐になっとたらしいわい。
ほんでの、入鹿はオフクロをナメきっとったけえ、めったに出仕せんかったんじゃ。
スキが無くてのう。
スキのない入鹿を、どうやって仕留めたのか。
次回は乙巳の変!