社会「どっちの用語ショー」⑪
社会には、似たような用語が多いですよね。
このブログでは、社会の間違いやすい2つ(たまに3つ)の単語の違いを紹介していきます。
第11回目は、「菅原道真」と「藤原道長」「藤原頼通」についてです。
中学生に限って言えば、最低限覚えておかなければいけないのが
菅原道真は平安時代前期の右大臣で、894年に遣唐使を停止させた。学問の神様としても有名。
藤原道長は平安時代中期の摂政・太政大臣で、藤原氏の全盛期を築いた。「この世をば~」の和歌が有名。
藤原頼通は平安時代中期の摂政・関白・太政大臣で、藤原道長の長男。京都の宇治に平等院鳳凰堂を造らせたことで有名。
これです。
「『わら』とか『みち』とか多いな~。コントとか漫才する人なん?」って思っている人もいるかもしれません。・・・「わらふぢなるお」さんのことですかね?
キングオブコントで準優勝だったコンビはおいといて、今日も学んでいきましょう。
と、その前に、少し知識の確認をしましょう。
この3人の役職についてです。
まず「右大臣」ですが、これは政治家としてはナンバー2の役職です。
もう少し説明すると、現在で言う内閣が当時の太政官というもので、
その太政官のトップが左大臣になります。今でいう内閣総理大臣ですね。
この左大臣の補佐をするのが右大臣、というわけです。
続いて太政大臣(だじょうだいじん/だいじょうだいじん)は、当時の名誉職です。
もともとは「左大臣ですらもったいない」といわれるほど優秀な政治家におくる役職です。
太政大臣がいれば、左大臣のさらに上になります。
なので、いないときもあります。
摂政は、天皇が幼少であったり病弱であったりして十分に政務を執り行えないときに、天皇の代わりを務める人の役職です。
なので、いないときもあります。
関白は、天皇の補佐をするという役職です。
なので、いないときもあります。
まとめると、いつも存在する役職なら、太政官で左大臣が一番偉い。
太政大臣がいれば、太政官で太政大臣が一番偉い。
太政官の会議で決まったことを天皇に報告・相談するのですが、そのときに摂政や関白が最終決定に関わってくるので、別格の偉さがあります。
なんとなく分かりましたか?
では、ひとりずつ見てみましょう。
まず、一番時代の古い菅原道真です。
845年に生まれた道真は、894年に遣唐使に任命されました。
しかし、唐が荒れていたことや(唐は9907年に滅ぶ)、航海が危険であること、新しく学ぶことがあまりない、などを理由に遣唐使停止を提案し、認められました。
その後、899年に右大臣になりました。
ちなみに、このときの左大臣は藤原時平です。
当時の朝廷では、藤原氏はすでにビッグネームでした。
その中に、学者の家系の菅原氏が突如朝廷のトップに切り込んできたのです。
藤原氏としては、そんな菅原道真が邪魔になったのでしょう。
あらぬ容疑をかけて、道真を朝廷の九州支所である大宰府(現在の福岡県太宰府市)に飛ばしてしまいました。これを「昌泰(しょうたい)の変」といいます。
菅原道真は失意のうちに、太宰府で亡くなってしまいました。
その後なんやかんやいろいろあって、菅原道真は学問の神様になりました。
日本全国に1万社以上ある天満宮の祭神ですね。
ちなみに、道真は死後、太政大臣に任命されました。
次に藤原道長です。
「この世をば わが世とぞ思ふ もち月の かけたることの なしと思へば」
は、覚えてしまいましょう。
道長は966年に生まれ、996年に左大臣になりました。
1016年には、後一条天皇の即位に伴い摂政になりました。
後一条天皇の父親は一条天皇、母親は藤原彰子(あきこ/しょうし)。
そう、道長の娘です。
道長は、天皇の「外戚の祖父」となることで摂政となり、藤原氏の全盛期をつくったのです。
この「外戚の祖父」作戦で、後朱雀天皇・後冷泉天皇の摂政も務めました。
ちなみに、1017年には太政大臣にも任命されています。
もう、最強ですよね。太政大臣で摂政。やりたい放題ですよ。
で、その長男が藤原頼通です。漢字に気を付けましょう。頼「通」です。
992年に生まれた頼通は、1017年には後一条天皇の摂政となりました。
つまり、道長は1年摂政に就いたあと、あっさり息子にその職を譲ったのです。
その後、頼通は1019年に後一条天皇の関白となりました。
後朱雀天皇・後冷泉天皇の代でも関白を務めた頼通は、1061年に太政大臣となりました。
また、その少し前の1052年に頼通は現在の京都府宇治市にあった別荘を、平等院という寺院にしました。国風文化・浄土信仰とくれば、平等院鳳凰堂と中尊寺金色堂(岩手県)のツートップですよね。
1990年代後半のブラジル代表でいえば、ロマーリオ&ロナウドの最強ツートップのようなものです。
かの有名な「ロ・ロ コンビ」ですね。
例えが古くてすいません。
けっこういろいろ長々書きましたが、最初にも書いたように
菅原道真は平安時代前期の右大臣で、894年に遣唐使を停止させた。学問の神様としても有名。
藤原道長は平安時代中期の摂政・太政大臣で、藤原氏の全盛期を築いた。「この世をば~」の和歌が有名。
藤原頼通は平安時代中期の摂政・関白・太政大臣で、藤原道長の長男。京都の宇治に平等院鳳凰堂を造らせたことで有名。
しっかり区別できるよう、覚えておきましょう。
では、また!