社会「どっちの用語ショー」⑨

社会には、似たような用語が多いですよね。

 

このブログでは、社会の間違いやすい2つ(たまに3つ)の単語の違いを紹介していきます。

 

第9回目は、「空海」「最澄」についてです。

中学生に限って言えば、最低限覚えておかなければいけないのが

空海は平安時代初頭の僧侶で、高野山に金剛峯寺を建てて真言宗を広めた。

最澄は平安時代初頭の僧侶で、比叡山に延暦寺を建てて天台宗を広めた。

これです。

実は、二人とも803年の遣唐使で唐に渡り、密教を学びました。

たいてい1回の授業で同時に習うため、けっこう「どっちやねーん!」ってなる人が多めです。

そこをきちんと整理できるように、今回も学んでいきましょう。

 

まず、密教について少し知っておきましょう。

密教とは仏教の教えの一派で、その教えや作法は腹をくくって修行に来た人にだけ伝えます。

そういう意味で秘密が多いことから、「密教」とよばれます。

厳しい修行をきちんとすれば、苦しみや悩みから解放された「仏」に生きたままなれますよ、と。

乱暴に説明すると、こんな感じです。

もう少し掘り下げると、密教以外の仏教の宗派を顕教(けんきょう・けんぎょう)といいます。

浄土真宗や日蓮宗、曹洞宗など、現在の日本人の多くが顕教のどれかでお葬式をすると思います。

こういった宗派は密教と違い、教えや作法をオープンかつ分かりやすいものにしています。

鎌倉時代に、庶民や武士の間で広まったものが多いですね。

逆にいうと、密教は厳しい修行がありますから、民衆にはあまり広まりませんでした。

なんとなく、密教がどんなものか分かりました?

 

では、一人ずつ見てみましょう。

空海ですが、774年に香川県で生まれたといわれています。

遣唐使が803年なので、29歳で選ばれたんですね。

余談ですが、唐での修行は20年ぐらいかかるだろうと思われたのが、たった2年で終了しました。

天才すぎですよね。

帰国してからは京都でいろいろ活動していたのですが、その功績が認められました。

時の嵯峨天皇から高野山(和歌山県)を与えられました。

そこに、空海は金剛峯寺を建てたのです。

ちなみに、空海は835年に亡くなりました。61歳ですね。

その約90年後の921年、醍醐天皇から「弘法大師(こうぼうだいし)」という名前をもらいました。

あの「弘法も筆の誤り」「弘法筆を選ばず」で有名な弘法大師は、空海のことです。

書道家としても有名ですよね。

三筆の一人です。調べてみてくださいね。

 

次に最澄です。

最澄は、766年(または767年)に、滋賀県で生まれたといわれています。

唐から帰国した最澄は、滋賀県の比叡山延暦寺を建てます。

なんで比叡山?って感じですよね。

比叡山は、古事記に出て来る「日枝の山」とされており、神の山として信仰の対象でもありました。

おそらく、最澄は子どものころから比叡山に特別な意識があったのでしょう。

ともかく、最澄が比叡山延暦寺で日本の天台宗を開きました。

ちなみに、空海を弘法大師とよぶように、最澄もそれがあります。

伝教大師(でんぎょうだいし)です。

弘法大師ほど有名ではないですが、最澄の方が先に「伝教大師」の名をもらっています。

866年に、清和天皇がその名を贈りました。

なお「大師」とは「功績人格指導力すべてが偉大な僧侶」という意味です。

日本史上初の大師は、この伝教大師と「慈覚大師」(天台宗・円仁)の2名です。

 

 

けっこういろいろ長々書きましたが、最初にも書いたように

空海は平安時代初頭の僧侶で、高野山に金剛峯寺を建てて真言宗を広めた。

最澄は平安時代初頭の僧侶で、比叡山に延暦寺を建てて天台宗を広めた。

これはセットで覚えておきましょう。

 

覚え方は、「ここ、真空」うや山・ん剛峰寺・言宗・海)です。

かまいたち現象みたいで痛そうですが、しっかり覚えてくださいね。

 

では、また!