社会「どっちの用語ショー」⑥
社会には、似たような用語が多いですよね。
このブログでは、社会の間違いやすい2つ(たまに3つ)の単語の違いを紹介していきます。
第6回目は、「遣隋使」と「遣唐使」についてです。
中学生に限って言えば、最低限覚えておかなければいけないのが
遣隋使は、飛鳥時代に聖徳太子が小野妹子らを隋に派遣した外交使節で、より古い。
遣唐使は、894年に菅原道真が停止させた、唐への外交使節で、より新しい。
これです。
「隋」も「唐」も、どっちも今の中国です。
目的は、いずれも中国の進んだ制度や技術、文化を取り入れること、です。
「ほいじゃけぇ、順番がごっちゃになるんじゃ。」ってなりやすいですよね。
今回もしっかり学んでいきましょう。
まず遣隋使です。
基本情報ですが、隋が成立したのは、589年です。
そして、滅んだのは618年です。早っ!
隋はスゲー短いんです。29年間ですから、平成より短いですよね。
とはいえ、隋は技術力も高く文化的にも優れ、国の制度もしっかりしていました。
そんな隋でしたので、聖徳太子は「隋を参考に、日本の国力をあげねば!」と思ったのではないでしょうか。
ただ、前述したとおり隋はソッコーでつぶれます。
このため、遣隋使自体は3回、いって5回ぐらいしか出していないそうです。
余談ですが、遣隋使には幻の「第1回」があります。
600年のことですが、このとき「日本のような野蛮な国とは、付き合いませんなあ。ふっふっふ。」
と、隋から追い返されたそうです。
これがきっかけ、かどうかはともかく「冠位十二階の制度」(603年)、「十七条憲法」(604年)はこのあと成立しています。
そして607年、満を持して遣隋使が派遣され、こんどはちゃんと相手をしてもらった、と。
小野妹子(男性です)が派遣されたのは、このときです。
続いて遣唐使です。
基本情報ですが、唐は618年から907年まで、約300年続きました。
日本が遣唐使を派遣したのは、630年からです。
聖徳太子が亡くなったのが622年、大化の改新が645年なので、その間ですね。
それから894年に停止が決定するまで、遣唐使は15回派遣されています。
遣唐使停止を進言したのは菅原道真です。学問の神としても有名ですね。
実は、894年に道真は遣唐大使に任じられました。
簡単にいうと、遣唐使のリーダーです。
しかし当時の唐は黄巣の乱等で荒れており、道真は危険と判断。
他にも理由はあったようですが、道真が唐に行くことがとうとうありませんでした。唐だけに。
それはともかく、もう一つ覚えてほしいのは「平安時代の国風文化が華やかになるきっかの一つに遣唐使がある」ということですね。
ここで話は最初に戻りますが、遣隋使と遣唐使の順番は以下のように覚えてください。
古い順に「あいうえお」順。
遣「隋」使が先で、遣「唐」使が後です。
けっこういろいろ長々書きましたが、最初にも書いたように
遣隋使は、飛鳥時代に聖徳太子が小野妹子らを隋に派遣した外交使節で、より古い。
遣唐使は、894年に菅原道真が停止させた、唐への外交使節で、より新しい。
これだけはしっかり押さえておきましょう。
では、また!