偉人の妄想インタビュー⑤~桓武天皇~ その7
こんにちは。
全て、講師亀崎の妄想です。ちょっとした読みもの的な感じで作ってみました。
広い心で、暇つぶし的に読んでいただければ幸いです。
桓武天皇の最終回です。
都の外にも、憂いはあります。
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インタビュアーを「I」、桓武天皇を「桓」とする。
桓:平安京遷都はいいとして、遠いところが、な。
I:蝦夷討伐ですか。
桓:なかなか大変やってん。
オヤジの代からゴタゴタが続いてたんや。
蝦夷の奴ら全然いうこと聞かへんねん。
ほんで、ごっつ強いねん。特にアテルイや。
討伐に行かせると、しょっちゅうアテルイにボコられんねん。
とはいえ、簡単にはあきらめられへん。
平安京遷都直後に、また行かせたんや。
征夷大将軍っちゅう新しい役職を作って、大伴弟麻呂(おとまろ)を任命したんや。
大伴氏もなあ、種継暗殺事件の名誉挽回やーいうて、燃えとったわ。
ただ弟麻呂はそのとき60歳超えてたから、副官に坂上田村麻呂を就かせたんや。
I:なぜ田村麻呂を抜擢したんですか。
桓:ああ、確かに抜擢やな。あんまり坂上の家は位が高くないからな。
理由は2つやな。
1つは、坂上一族は武芸に秀でた家系であったことや。田村麻呂も大したやつやったで。
いろいろと賊退治の実績もあったしな。
それに、田村麻呂が小さい頃は陸奥に住んどったからな。土地勘があるやろ。
実際に、田村麻呂は蝦夷討伐でなかなか頑張ってたらしいわ。
I:だから次の蝦夷討伐で、征夷大将軍に任命したんですね。
桓:そうそう。これでやっと蝦夷をなんとかするこができたんや。
田村麻呂もようやってくれたで。
それまで鎮守府が多賀城(今の宮城県)にあったんを、胆沢城(今の岩手県)に移したしな。
アテルイの件はな・・・。田村麻呂は戦を通じて、友情みたいな?モンが芽生えてな。
アテルイの延命嘆願してきよったけどなあ。
でも、怖いやん。アテルイが生きてると。
非情かもしれんけど、アテルイとモレは処刑するしかなかった、と思てる。
ほら、『史記』でもなあ、呉越の話があるやん。「臥薪嘗胆」の。
とはいえ、唯一祟りだけが怖かってんけどな。
I:何はともあれ、内憂外患がある程度取り除かれた状態まできたんですね。
桓:そやな。
あとは国として中身の充実やな。
実は、遣唐使をずっとしてなかってんな(光仁天皇の779年から)。
平安京遷都から10年ぐらいたったから、遣唐使を出してみたんや。
橘逸勢(はやなり)やら最澄やら、あと空海もおったな。
久しぶりやったし、いろいろ大変な目に遭うたらしいけどな。
I:僭越ではありますが、桓武天皇は積極的に親政を行った天皇という印象を受けます。
桓:前にも言ったけど、ワシは天皇になる可能性がかなり低かってんな。
せやから、若い頃は実務ばっかりしとったんや。
オヤジが天皇になったのは、ワシが33歳のときやしな。
あの経験はダイブ役にたったなあ。
エエか悪いか分からんけど、天皇として決断するときは気にしてたんや。
「帝にこんなん言われたら、どんな仕事にどう影響するんやろ?
どんな立場の人間がどう思うやろ?」って。
自分がそういう立場やったからな。
I:重みがあります。
今日は本当にありがとうございました。かなり貴重な話を聞けました。
最後に、今の政治家に一言。
桓:え?あー・・・
祟られるようなことはしたらアカンで。
I:・・・重みがありますね・・・。
以上で、桓武天皇編は終了です。
次回は、菅原道真です。